コラム 『ひととき』

コラム 『ひととき』

弱冠21歳、気鋭の映画脚本家 安楽 悠作
コラム Vol.3『 勘違い 』

安楽 悠作
平成9年9月28日生まれ
父親の影響などで小学生の頃から洋画をよく見るようになる。
高校に入ると実際に自分でも何か創りたいと考え始める。
高校卒業後に高校の同級生であり、部活も同じだったメンバー数名で自主映画「ノイズキャンセル」を撮る。同作は第5回元町ショートフィルムフェスティバルに応募され、上映される。
平成31年、自主製作2作目となる「今を吐く」を撮影。
映像はもちろん、脚本や執筆など広く活動していきたいと述べている。
Twitter/@LuckyouSuck

日々ストレスの多い社会で暮らしている我々にとって、1日のうちに心から落ち着いていられる瞬間はどれくらいあるだろうか。もちろんその瞬間は人それぞれ異なるタイミングで訪れるだろうし、そのかたちは様々だと思う。

歌詞のわからない洋楽に浸っている時かもしれないし、歩き疲れて用も無いインテリアショップのソファに腰掛けている時かもしれないし、富士山頂の山小屋で800円の豚汁にメガネを曇らせている時かもしれない。

以前あの源さんが雑誌のインタビューで「心を整えるためには情報を断つと良い」と答えていた。スマホやテレビなど、様々な情報に溢れた世の中では無意識のうちにストレスとしてそれらを取り込んでいる。なので時にはスマホやテレビなどを消したり置いたりして情報を遮断する。それだけでも脳内の情報が整理されて心は落ち着くという。

無論、あの源さんというのはほかでもない僕が尊敬してやまない星野源さんのことである。

なるほどなと思ったのと、確かに僕自身スマホを開いている時間は一日のかなりを費やしていると自覚している。それこそ今もこうしてトイレに腰掛けながらスマホで文字を打っている。トイレに座ってスマホを触るのは本当はあまり良くないのだけどよくやってしまう。

というのも僕の場合、1日で最も落ち着くなぁと実感するのは洋式トイレに腰掛けている時らしいのだ。これは中学生くらいの時に気づいたのだけれど、自宅ではもちろんだが個室の洋式トイレに座っている時は自宅以外でも大抵落ち着く。決して汚い話をするつもりではないが、場所が場所だけに今もし食事のついでにこれを読み始めた方がいるなら申し訳ない。今すぐ箸を置いて欲しい。

さすがに汚れや臭いがひどい場合はあまり長居する気にはなれないが、利用者の少ない静かなトイレだとスマホすら出さずについボーっと考え事をしていたりもする。この場合は「情報を断つ」という意味で理にかなっているのかもしれない。排泄行為自体にもリラックス効果はあるが、やはり座っていることが大事なわけで、つまり和式トイレでは意味がない。

と、ここまで書いたところで僕は今トイレを出た。ながいトイレは活字且つ痔になりやすい。

しかし、個室のトイレが落ち着く要因はそれだけではない。落ち着く最も大きな要因は個室であることと、その狭さにある。せっかくなので軽く調べてみるとどうやらちゃんと根拠があり、一般的なトイレの個室は人のパーソナルスペースとほとんど同じ広さになっている。パーソナルスペースというのをご存知の方も多いが、人間が他人に近づかれて不快に思う範囲のことであって、それを四方の壁で囲まれ守られているのことによって個室トイレは落ち着くのだという。

また胎児の時の母親のお腹にいた感覚に近くなるなどもあって、本能的に安心する空間になっているらしい。つまりちょうどいい狭さというわけだ。

考えれば何となくはわかる話なのだが、これもまた理にかなっているというところだ。

そうはいっても自宅以外のトイレでは、いくら個室でも安心出来ないことが起こる場合もある。僕は昔からお腹が弱い方だったので学校でもトイレの個室に駆け込むことはよくあった。ただ、学校でそこを利用するのにはリスクが伴う。よくある話ではあるが、小学校や中学校では特に校内での排便は子供達の間でタブーとされることが多いからだ。大人になってみれば本当にくだらない集団心理だなと思うことができるが、当時は僕自身も他人事ではなかった。

僕は中学時代を軟式テニス部員として3年間過ごしたのだが、とあるその日は雨が降っていて放課後の部活動を校内で行うことになった。

内容をそのまま名前をした階段ダッシュという練習メニューをこなした僕は、休憩で汗が冷えたせいか冷たいスポーツドリンクのせいかいつもの如くお腹がぎゅっと締まるような痛みを感じた。来たか、と内心思いながらも平気な顔で近くにいた仲間にトイレに行くことをボソッと告げる。一人で抜け出した僕は角を曲がり、さっきまで駆け上がっていた階段を再び小走りで上がる。そして校内で最も人気の無い4階の男子トイレに駆け込む。ここまではもういつものことである。

しかし、いつものように男子トイレの一番奥にある洋式の個室トイレの腰掛けたところで何かに気づく。どこからか聞こえる誰かの話し声だ。それはどうやらトイレに続く廊下からこちらに近づいてくるらしい。一旦出ようかと考えたがもう遅い。彼らはすでにトイレの入り口にまで来ていた。

そして彼らがトイレ内に侵入するなり僕の顔はさらに色を失う。彼らの正体がよりにもよって学年に数人いる若気の至りに身を任せて生きている連中だとわかったからだ。時代が違えば盗んだバイクで走り出していそうな勢いで入ってきた彼らは、奥の個室に僕がいることなど知らずに大声で会話を楽しんでいる。彼らと何か因縁があるわけでもないが、その時最も出くわしたくない生命体であったのは言うまでもない。

幸いにもとりあえずは個室に近寄る様子もなく、彼らは小便器の前に並んで用を足している。だがまだ安心はできない。ここで僕が物音など立てようものなら最悪の展開が待っていることは容易に想像できる。すでに冷や汗を吸った僕の体操着は再びびっしょりになっていた——

とまあトイレではこういう事態も起こりうるわけであり。これはいわゆるオチ付けない話である。

そういえばトイレに行く頻度が高い人がいるとよく「トイレが近い」という。この場合の「近い」は距離のことではなくて時間を意味しているらしいが、あらためて聞くとなんだか不思議だ。一見するとどこか便利そうだが本当はあまり嬉しいことではないと思われる。では例えば趣味で海外旅行によく行く人は「ハワイが近い」などとなるのだろうか。「ハワイが近い」のは少し嬉しい気がする。

ハワイが近いと良いよなあ。でもハワイってちゃんとトイレあるのかなあ。トイレが遠いと落ち着かないなあ。

photographer / @g_____osiii
producer / @1975tyiffy

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